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『予約したゲームの箱を開ける瞬間の気持ち』を再び感じる方法を考えてみた

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geralt / Pixabay

日々生活をしていて過去を思い返すことは少ない人間です
それのせいもあるのか、少しでも「ああ、この感じ懐かしいな」と思うと「この懐かしさは戻ってこないんだなぁ」と悲しくなったりします

『予約したゲームの箱を開ける瞬間の気持ち』を覚えていますか?
ゲームに限った話ではないと思いますが。お人形、ロボットおもちゃなどなど
自分は未だにポケモン緑を購入したことをよく覚えています。死ぬほど嬉しかった。多幸感というのでしょうか。
父に水戸のゲーム屋で買ってもらいました。少し泣けてきた

あの感覚を再び味わう方法はあるのでしょうか
その頃と比べると当前のことながら、自由に使うことができるお金は増えました
数倍、下手したら十何倍くらい
自分のために高額な買い物も何度かしたことがあります
Macやら少々お高いバッグやら
品を箱や袋から取り出す瞬間、「高額の商品を買ってやった感」が強かった気がします
嬉しかったかなぁ
嬉しくないことはないんだろうなぁ

ああ、でも、初めてiPhone買ったときの感覚は近かったかもしれません
ブラックボックス感。やはり、未知のものを手に入れるときに幸せを感じるのでしょうか
Macや少々お高いバッグは結果どんな体験を提供してくれるか何となく察しがついていたのかもしれません
よく聴く話ですが、大人の方が時間が過ぎるのを早く感じます。それは、子供より日々の生活に感動をもたないから
全く察しがつかないものや、ことに直面することなんて年に数える程度しかないですものね
いや、一般の人はもう少しあるんですか 自分が少ないだけですか

ちなみに余談ですが、自分はサプライズ的なあれが苦手であり、好きではないです
「え、未知が幸せ与えるんじゃないの?」違います
未知な体験を自分の判断で手に入れ、自由に楽しむことができるからよいのです
傲慢な性格なのです

今のところ『予約したゲームの箱を開ける瞬間の気持ち』を感じるためには、
「よく分からないが、とても幅広く質の高い体験ができると噂される何かを手に入れる」
がよさそうです
このことから、お人形、ロボットおもちゃを買ってもらったときの記憶があまりないのですが、
形状がはっきりしていて楽しみの幅が想定できるから感動あまり濃くなかったのかもしれません
現金な子供であり、現金な脳であります

それでは、いま「よく分からないが、とても幅広く質の高い体験ができると噂される何かを手に入れた」としましょう
当時のような多幸感を味わうことはできるのでしょうか
恐らく、Noです

いつからかは覚えていませんが、何をするにも時間を意識するようになりました
「この行動てどのくらい時間をあてればいいだろうか」と無意識に考えるようになりました
その時間を超過するとなんとなく罪悪感を覚えるようになりました
世間一般にみなこれを感じているのか、どうか分かりませんが「分かるわ〜」て人は少なからずいると思います
つまり、「時間を忘れて熱中すること」を避けるようになったのです
そもそも、「よく分からないが、とても幅広く質の高い体験ができると噂される何かを手に入れる」こと自体が人生においてとても珍しいことなのに
「時間を忘れて熱中すること」を制約しているので『予約したゲームの箱を開ける瞬間の気持ち』を全力で感じることができないと

結果、仕事を辞めて家を引き払い、旅に出ればバッチグーな気がしないでもないですが(現に知人でかなり近い境遇の人いる。そうあなた)
直近それをする予定はないので「なんでもない1日が1番幸せ理論」を推し進めていきたいと思います。ありがとうございました

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